年表ゼロのβ

祖母の死んだ後のエピソード追加

・祖母が死んだ後、母の具合が悪くなった。身体が痛いらしい。どこか気持ち悪いのでお寺さんに来てもらったところ、「業が深くて成仏できないのでしょう」ということで、経を複数人で唱えながら、花びらの形をした色紙を仏壇のある部屋中に蒔いた。母の具合はおさまった。まあ、これは、精神的なものかもしれない。

・祖母の法事の後、身近な人間だけで、予約してた中華コースの食事に出かけた。すると、店の端に座った我々のテーブルの隣の3テーブルほどに1つのグループが座っていた。それはいいのだが、我々が食べ始めてしばらくすると、そのグループのオッさんが店内に響き渡る大きな声で童謡を歌い始めたのである。その場にいた自分の子供に対して歌っている風であったが、大音量の童謡は我々がその店にいる間、ひたすらずっと続いて全く会話どころではなかった。店に苦情を言ったが、一切対応せず。これは、明らかに変な出来事。

年表ゼロのα

さて、組織的嫌がらせのきっかけだが、これまで相手方は、私の結婚式から厳密に10年ジャストのタイミングで起きた自転車との路上トラブルを匂わせてきている。加担者の間に、嫌がらせを実施する「正当な」理由として広げているのかもしれない。が、これ、私、填められたので。確かに、こちらにはそれを証明できる証拠がない。しかし、計画した人間、計画に加担した人間は、自分がやったことをよくわかってるはずだよな。特に、トラブルの前から加担している人間は。何やら、そのトラブルの証拠の動画があることまでたまにほのめかしているが、そもそもそんなものが都合よく用意できるのがおかしい。それに、トラブルの翌日から一度、組織的嫌がらせ始めながら何故かしばらくして止めてるが、そんなに速やかに開始できるのはおかしくないかね。大量動員のために、かなりの長期間に亘って準備しているよな。

と、言っといて過去に戻る。

自分の子供のころからの親の言動を振り返っても、嫌がらせの原因の一つは確実に誰かが依頼したことにある。その後、相手方は、間欠的にトラブルを起こす形でタネを蒔いて行く。ターゲットを特定の方向に誘導し、反応させるために、似たようなタイミングを狙う。個々のターゲットの対応により時期は異なるが、蒔いたタネがうまく育つと、目に見える形での嫌がらせがスタートする。私の場合、44のゾロ目の年齢で目に見える嫌がらせを再スタートさせているが、こういうところは実に偏執狂的かつ妄想的であり、相手方の属性を示唆しているのかもしれない。ま、44は、たまたまかもしれない。

一つのヒントは、私の父が戸籍の無い人間だったことにある。

父は、祖父の正妻の子ではなく妾の子である。戦前の話なので、金持ちの旦那にこういう話は割とよくあった話であり、そのこと自体はどういうことはない。政治家にも妾の子はいる。また、今でも妾囲ってる人いるんじゃないかな。明治生まれの祖母は新潟の芸者であった。明治から戦前までは、新潟は都会だったのですよ。

祖父が死んだ後、私の父は完全に無視され、放っておかれた。不思議なことに、祖母と父の姉は、女だからという理由で比較的問題なく取り扱われた。祖父の奥さんは激しく祖母を憎んでいたようであり、そのこと自体は私もとてもよく理解できるのだが、憎む方向が当事者の祖母自身、そして祖父に対してよりも、その息子である父に強く向いたらしい。ある意味、「血を継ぐ」可能性が残る男は絶対に許さんということからか、命をとるとまではいかないものの、完全に存在を黙殺されていたのである。幸い、戦後に義務教育の制度が確立していたので、無戸籍ながらも父は小学校に通うことができた。この点、祖母がしっかりしておれば話は違ったかもしれないが、祖母自身、父親がアル中のために置屋におかれた身であり、自分が子供のときに感じた感覚からすると、生活能力に決定的に欠如していたのだと思う。

祖母の葬式のとき、位牌には祖母の名ではなく、祖母がいた置屋の女主人の名が書かれていた。二人の名は似ているといえば似ている。間違いに気付いたのは、私である。

続く

年表1α

年表1の追加

その他小学生以前で特に覚えている非日常的な話。

・神戸市東灘の深江の埋め立て地に新神戸大プールというプールがあって、当時は波の出るプールが人気だった。そこの周回プールで泳いでいたときのこと。いつものように軽く潜って数m進み、息継ぎをしようとすると、何ものかに頭を押さえられてどうやっても顔を水の上に出すことができない。パニックになってバタバタしたが、押さえている何ものかはびくともせず、全く呼吸ができなくなってしまった。そのうちに偶然、その何ものかが外れ、慌てて水面に顔を上げて見てみると、なんと、当然のごとく厳禁されているゴムボートをプールに持ち込んだバカがいてそこに数人乗っており、そいつらが無表情&無言でこちらを見つめていた。なんというか、こちらは下手したら明らかに死んでいた状況なのに、ボートの下で人間がバタバタ暴れているのにもかかわらず何もせずボートに乗り続けている感覚と、その無表情&無言ぶりが怖かった。普通、「うわっ」とかなんか言いませんかね?。完全無言なんですよ。というか、まともな感覚持ってたら、そもそもボート持ち込まねえよなあ。プールの監視員が完全スルーだったのも理解できないな。

・ある日風呂に入ったら、電気が流れていた。明らかにピリピリするのだが、家族は他の誰も気付かない。ピリピリは何日かにわたって続いた。ステンレスの浴槽、昔よくあった外釜式のお風呂です(追い炊きとか、当然手動でやるんですよー)。ある日、母がこのことについて話しかけてきて、どうやら自分が学校に行っている間に念のため関西電力に来てもらったらしい。すると電力会社の人が、確かに電気が流れていることを認め、次の経路で電気が来ていると説明したそうだ。道を挟んだ向かいの家のエアコン室外機からの漏電が、室外機の置いてある3階バルコニーから1階に何かを伝って降りて地面に入り、ガス管(当時は金属管)を経由して道を渡ってこちらの敷地に入り、そのままガス管の末端にある風呂の外釜からステンレスの浴槽に入って自分が感電したという経路…。よくそこまでわかるなと、当時、素直に感心した。

・ちなみにその漏電してた道向かいの家は、幽霊騒ぎがある家だった(住んでる家族が幽霊が出ると主張していた)。

・一時期通っていた塾に何故か占い師らしき男性が来て占いをしてた。たまたま来ていた母は見てもらっていたが、子供心に胡散臭い以外の何ものでもなかった。

・母が一時期店番のパートをしていた店舗におばさん2名が来て、店の名前が気に入らない、許可もらってないくせにうんぬんと文句をつけられた。という場面に、手伝いに行っていた自分が出くわした。あえて書きませんけど、これ、東アジア事案です。当時は全く理解できないおばさんの言動でしたが、今はわかります。

一見どうでもよさげな占いをあえて書いているのは、後々、いろいろあるからなんですよね。

年表1

これまであった様々な変わった出来事を、覚えている範囲でちまちまとまとめます。

書いてるうちに驚くほどたくさん出て来ると思いますが、これは私の記録力が良いというよりも、古いものに至っては数十年たった今でも良く覚えているほど、とても印象深かったということです。

まあ、こんな年表作ってもperpsの元締めはこんな(↓)感じでしょうが、記録は残すよ。どうせ向こうも記録持ってるんだろうし。この絵は、twitterから拾った。

Cfq9xrsUkAEizGK

1 小学生まで

大人しかったですが、暗い子供ではなかったです(ツイート見ればわかるでしょ)。理科と図工、音楽が好きでした。いじめを受けたという記憶もありません。ただ、6年生の特定の期間の出来事は、もしかしていじめだったのか?と今では思いますが、性格がぼんやりしているからか当時はあまり気にしていませんでした。

・駄菓子屋や神社の夜店で相手にされず、非常に冷たくあしらわれる。不思議なのは、一人で行ったときのみそんな感じで、例えば、友人と数人で行くと自分に対しても対応が全く普通になる。店による強弱はある。母親も特定の店で同じような扱いを受けていたらしく、そういった特定の店には嫌がって行こうとしなかった。

・小学生に上がる前なのに、市バスの運転手にその子(私)は小学生だから子供料金を払うようにと母がしつこく絡まれる。まだ小学生じゃないと言っても、全く聞き入れられず。

・4年生以降、自分の担任でもなく、交流も全くなかった先生(中村という女性)から嫌がらせを受け続ける。こちらを見て睨みつける、鼻で笑うなどは日常茶飯事。印象的だったのは、運動会のボールリレー競技で前走者から自分へのリレーがうまく行かず、ボールが中村の前にたまたま転がったときに、中村がそれを全然違う方向に蹴り飛ばしてリレーが成立しなくなってしまったこと。そして不思議だったのは、大勢の目の前で行われたそのことを誰一人として指摘せず、それどころか同じクラスの特定の人間(6年生の出来事と属性が同じ人間)が、中村に怒るのではなく、私に対して「お前が悪いからリレーが出来なくなった」と怒りだしたこと。さらに不思議なのは、一度言われたきりで翌日には何もなかったことになってたことである。なんなんですかね?これは?、と当時思った^^;。ま、すぐに忘れたけど。

・中村が絡んできた理由は全く思いつかない。もしかすると、4年生のときの理科の授業で担任(中村とは別人)に「それ間違ってます」と指摘したことが原因か。な、わけないですよねー。

・数人だけ給食で食中毒になった。クラスでは自分だけ。油が古かったことが理由とされた。

・月に一度、クラスや学年を超えて同じ地域の生徒同士で集団下校する日があった(普段は好き勝手にバラバラに下校)。下校の前に、同じ地域の生徒同士が教室に集合して何やら先生の話を聞く。先生は二人いて、喋らない一人は生徒と同じく教室の椅子に座っているのだが、同じく4年生以降に集団下校の担当になった先生(名前忘れたが若い女性)が、会合中、じっとこちらを見続けることを毎度毎度繰り返していた。ちょっと離れた位置に座っていたし、とりあえず害はないし、当時は単に頭がおかしい先生だと思っておりました。

・何故か、6年生の1学期の間だけ、特定のグループの同級生から完全に無視され、必要な会話(連絡とか)するときにはこちらへの訳分からん文句や中傷が返ってくる、という状況になった。↑の中村の件と同じく、なんなんですかね?これは?と思っていたら、何故か2学期になって態度が普通になり、それどころか何もなかったかのごとく普通に笑顔で話してくるようになった。どうやら夏休みの間に、自分の知らないところで何かがあったらしい。3学期になると、今度は別のグループの態度がおかしくなったが、こちらもあるとき突然、笑顔で元に戻るというわけのわからないことをしていた。中学受験したので、それが関係しているのかと思っていた(この特定のグループは、同じく中学受験した別の生徒をやたらと褒めちぎっていたので)。

これだけみると、ま、よくあることだと思いますよね。自分もそう思います。が、年々おかしなことが増えて行きますよ。特に2001年以降。時間があるときに年表記載の作業を続けます。