年表ゼロのα

さて、組織的嫌がらせのきっかけだが、これまで相手方は、私の結婚式から厳密に10年ジャストのタイミングで起きた自転車との路上トラブルを匂わせてきている。加担者の間に、嫌がらせを実施する「正当な」理由として広げているのかもしれない。が、これ、私、填められたので。確かに、こちらにはそれを証明できる証拠がない。しかし、計画した人間、計画に加担した人間は、自分がやったことをよくわかってるはずだよな。特に、トラブルの前から加担している人間は。何やら、そのトラブルの証拠の動画があることまでたまにほのめかしているが、そもそもそんなものが都合よく用意できるのがおかしい。それに、トラブルの翌日から一度、組織的嫌がらせ始めながら何故かしばらくして止めてるが、そんなに速やかに開始できるのはおかしくないかね。大量動員のために、かなりの長期間に亘って準備しているよな。

と、言っといて過去に戻る。

自分の子供のころからの親の言動を振り返っても、嫌がらせの原因の一つは確実に誰かが依頼したことにある。その後、相手方は、間欠的にトラブルを起こす形でタネを蒔いて行く。ターゲットを特定の方向に誘導し、反応させるために、似たようなタイミングを狙う。個々のターゲットの対応により時期は異なるが、蒔いたタネがうまく育つと、目に見える形での嫌がらせがスタートする。私の場合、44のゾロ目の年齢で目に見える嫌がらせを再スタートさせているが、こういうところは実に偏執狂的かつ妄想的であり、相手方の属性を示唆しているのかもしれない。ま、44は、たまたまかもしれない。

一つのヒントは、私の父が戸籍の無い人間だったことにある。

父は、祖父の正妻の子ではなく妾の子である。戦前の話なので、金持ちの旦那にこういう話は割とよくあった話であり、そのこと自体はどういうことはない。政治家にも妾の子はいる。また、今でも妾囲ってる人いるんじゃないかな。明治生まれの祖母は新潟の芸者であった。明治から戦前までは、新潟は都会だったのですよ。

祖父が死んだ後、私の父は完全に無視され、放っておかれた。不思議なことに、祖母と父の姉は、女だからという理由で比較的問題なく取り扱われた。祖父の奥さんは激しく祖母を憎んでいたようであり、そのこと自体は私もとてもよく理解できるのだが、憎む方向が当事者の祖母自身、そして祖父に対してよりも、その息子である父に強く向いたらしい。ある意味、「血を継ぐ」可能性が残る男は絶対に許さんということからか、命をとるとまではいかないものの、完全に存在を黙殺されていたのである。幸い、戦後に義務教育の制度が確立していたので、無戸籍ながらも父は小学校に通うことができた。この点、祖母がしっかりしておれば話は違ったかもしれないが、祖母自身、父親がアル中のために置屋におかれた身であり、自分が子供のときに感じた感覚からすると、生活能力に決定的に欠如していたのだと思う。

祖母の葬式のとき、位牌には祖母の名ではなく、祖母がいた置屋の女主人の名が書かれていた。二人の名は似ているといえば似ている。間違いに気付いたのは、私である。

続く

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年表1α

年表1の追加

その他小学生以前で特に覚えている非日常的な話。

・神戸市東灘の深江の埋め立て地に新神戸大プールというプールがあって、当時は波の出るプールが人気だった。そこの周回プールで泳いでいたときのこと。いつものように軽く潜って数m進み、息継ぎをしようとすると、何ものかに頭を押さえられてどうやっても顔を水の上に出すことができない。パニックになってバタバタしたが、押さえている何ものかはびくともせず、全く呼吸ができなくなってしまった。そのうちに偶然、その何ものかが外れ、慌てて水面に顔を上げて見てみると、なんと、当然のごとく厳禁されているゴムボートをプールに持ち込んだバカがいてそこに数人乗っており、そいつらが無表情&無言でこちらを見つめていた。なんというか、こちらは下手したら明らかに死んでいた状況なのに、ボートの下で人間がバタバタ暴れているのにもかかわらず何もせずボートに乗り続けている感覚と、その無表情&無言ぶりが怖かった。普通、「うわっ」とかなんか言いませんかね?。完全無言なんですよ。というか、まともな感覚持ってたら、そもそもボート持ち込まねえよなあ。プールの監視員が完全スルーだったのも理解できないな。

・ある日風呂に入ったら、電気が流れていた。明らかにピリピリするのだが、家族は他の誰も気付かない。ピリピリは何日かにわたって続いた。ステンレスの浴槽、昔よくあった外釜式のお風呂です(追い炊きとか、当然手動でやるんですよー)。ある日、母がこのことについて話しかけてきて、どうやら自分が学校に行っている間に念のため関西電力に来てもらったらしい。すると電力会社の人が、確かに電気が流れていることを認め、次の経路で電気が来ていると説明したそうだ。道を挟んだ向かいの家のエアコン室外機からの漏電が、室外機の置いてある3階バルコニーから1階に何かを伝って降りて地面に入り、ガス管(当時は金属管)を経由して道を渡ってこちらの敷地に入り、そのままガス管の末端にある風呂の外釜からステンレスの浴槽に入って自分が感電したという経路…。よくそこまでわかるなと、当時、素直に感心した。

・ちなみにその漏電してた道向かいの家は、幽霊騒ぎがある家だった(住んでる家族が幽霊が出ると主張していた)。

・一時期通っていた塾に何故か占い師らしき男性が来て占いをしてた。たまたま来ていた母は見てもらっていたが、子供心に胡散臭い以外の何ものでもなかった。

・母が一時期店番のパートをしていた店舗におばさん2名が来て、店の名前が気に入らない、許可もらってないくせにうんぬんと文句をつけられた。という場面に、手伝いに行っていた自分が出くわした。あえて書きませんけど、これ、東アジア事案です。当時は全く理解できないおばさんの言動でしたが、今はわかります。

一見どうでもよさげな占いをあえて書いているのは、後々、いろいろあるからなんですよね。

年表1

これまであった様々な変わった出来事を、覚えている範囲でちまちまとまとめます。

書いてるうちに驚くほどたくさん出て来ると思いますが、これは私の記録力が良いというよりも、古いものに至っては数十年たった今でも良く覚えているほど、とても印象深かったということです。

まあ、こんな年表作ってもperpsの元締めはこんな(↓)感じでしょうが、記録は残すよ。どうせ向こうも記録持ってるんだろうし。この絵は、twitterから拾った。

Cfq9xrsUkAEizGK

1 小学生まで

大人しかったですが、暗い子供ではなかったです(ツイート見ればわかるでしょ)。理科と図工、音楽が好きでした。いじめを受けたという記憶もありません。ただ、6年生の特定の期間の出来事は、もしかしていじめだったのか?と今では思いますが、性格がぼんやりしているからか当時はあまり気にしていませんでした。

・駄菓子屋や神社の夜店で相手にされず、非常に冷たくあしらわれる。不思議なのは、一人で行ったときのみそんな感じで、例えば、友人と数人で行くと自分に対しても対応が全く普通になる。店による強弱はある。母親も特定の店で同じような扱いを受けていたらしく、そういった特定の店には嫌がって行こうとしなかった。

・小学生に上がる前なのに、市バスの運転手にその子(私)は小学生だから子供料金を払うようにと母がしつこく絡まれる。まだ小学生じゃないと言っても、全く聞き入れられず。

・4年生以降、自分の担任でもなく、交流も全くなかった先生(中村という女性)から嫌がらせを受け続ける。こちらを見て睨みつける、鼻で笑うなどは日常茶飯事。印象的だったのは、運動会のボールリレー競技で前走者から自分へのリレーがうまく行かず、ボールが中村の前にたまたま転がったときに、中村がそれを全然違う方向に蹴り飛ばしてリレーが成立しなくなってしまったこと。そして不思議だったのは、大勢の目の前で行われたそのことを誰一人として指摘せず、それどころか同じクラスの特定の人間(6年生の出来事と属性が同じ人間)が、中村に怒るのではなく、私に対して「お前が悪いからリレーが出来なくなった」と怒りだしたこと。さらに不思議なのは、一度言われたきりで翌日には何もなかったことになってたことである。なんなんですかね?これは?、と当時思った^^;。ま、すぐに忘れたけど。

・中村が絡んできた理由は全く思いつかない。もしかすると、4年生のときの理科の授業で担任(中村とは別人)に「それ間違ってます」と指摘したことが原因か。な、わけないですよねー。

・数人だけ給食で食中毒になった。クラスでは自分だけ。油が古かったことが理由とされた。

・月に一度、クラスや学年を超えて同じ地域の生徒同士で集団下校する日があった(普段は好き勝手にバラバラに下校)。下校の前に、同じ地域の生徒同士が教室に集合して何やら先生の話を聞く。先生は二人いて、喋らない一人は生徒と同じく教室の椅子に座っているのだが、同じく4年生以降に集団下校の担当になった先生(名前忘れたが若い女性)が、会合中、じっとこちらを見続けることを毎度毎度繰り返していた。ちょっと離れた位置に座っていたし、とりあえず害はないし、当時は単に頭がおかしい先生だと思っておりました。

・何故か、6年生の1学期の間だけ、特定のグループの同級生から完全に無視され、必要な会話(連絡とか)するときにはこちらへの訳分からん文句や中傷が返ってくる、という状況になった。↑の中村の件と同じく、なんなんですかね?これは?と思っていたら、何故か2学期になって態度が普通になり、それどころか何もなかったかのごとく普通に笑顔で話してくるようになった。どうやら夏休みの間に、自分の知らないところで何かがあったらしい。3学期になると、今度は別のグループの態度がおかしくなったが、こちらもあるとき突然、笑顔で元に戻るというわけのわからないことをしていた。中学受験したので、それが関係しているのかと思っていた(この特定のグループは、同じく中学受験した別の生徒をやたらと褒めちぎっていたので)。

これだけみると、ま、よくあることだと思いますよね。自分もそう思います。が、年々おかしなことが増えて行きますよ。特に2001年以降。時間があるときに年表記載の作業を続けます。

加害パターンいろいろ(aderyn記載)

2人1組

つきまとい加害者の特徴的なパターンの一つに、2人1組という形がありますね。電車でも街中でも、こちらに何かを聞かせたい場合に、このパターンが多いようです。ポイントは、そのうちの一方の人物だけが(しばしば大声で)突然喋りだし、もう一方は黙って何も喋らないか、せいぜいたまに相打ちを打つ程度という点にあります。多分、2人で喋っていると、普通の会話にしか聞こえないからだと思います。1人だけで喋っていると何だか変だし目立ちますよね。ちなみに喋っていない方は、別に無口とか大人しいわけじゃないですよ。つい先日、公園のベンチに座っていたこのパターンの加害者2人の顔がクリップにくっきり写っていましたが、改めて見ても、2人ともめっちゃ悪い表情です^^;。ついでに、私が横を通り過ぎるときに、1人が「こいつ臭いよな」というセリフを前後の脈絡一切関係なく無く突然発しましたが(というかこの2人、私が近づくまで基本的にずっと無言だった)、たまたま起動していたボイスレコーダに録音できました。

このパターンで覚えている最も古いものは、浪人して予備校に通っているときの阪急梅田駅の動く歩道辺りでやられたやつですねえ。このときは、男女の2人組だったように思います。

突然喋りだす内容はこちらをdisるものと、監視してますアピール(いわゆる仄めかし)があります。

仄めかしでよく覚えているのは、学生時代(20年ほど前)の京都市バスの中での出来事です。確か河原町に行くバスだったように思うのですが、いつものごとく結構混んでいて、私はバスの後ろのドア(乗車ドア)付近に立っていました。すると途中から、学生風の男2人が乗ってきて近くに立ち、そのうちの一人が突然「オレ、カレーマルシェ(レトルトカレー)が世界で一番うまいと思う」との内容を多少表現を変えながら繰り返すのです。もう一人はそれを聞いているだけ。普通は、「はいはいわかったわかった。同じこと何度もいってオレ恥ずかしいわ」とかつっこむと思うんですが^^;

実は、当時下宿生だった私はカレーマルシェにはまっており、頻繁にカレーマルシェを食べていました(今みたいにたくさん種類の無いレトルトカレーの中では、おいしかったのです^^)。なので、「(世界で一番とは全く思わないが)同類がいた!珍しい!とはいえ、こいつはアホやな。バスの中で大声で同じことばかり言いよってw」と、純粋に思っていました。今考えると、これはどうやらスーパーで私の買う物が確認されていたようにも思えます。当時は他にも豆腐、ちくわ、餃子などをよく買っていましたし、これらを就職後もよく食べていたからか、今は餃子が仄めかしによく使われてますね。歩いていると、突然、「餃子!餃子!」と騒ぎだす集団に出くわすとか。お前は餃子食べたことないんかい!という感じです^^;。不思議なことに、餃子と違い、何故か豆腐、ちくわは仄めかしの頻度がありません。犬と同じく、餃子は彼らにとってなんかしらん笑いのネタになってるのかもと思います。しかし、いまだにこのカレーマルシェ君の顔をぼんやりと覚えています。それぐらい、印象に残る変な人でした。

同じく学生時代、高野(左京区高野)にあったJEUGIAでゲッタウェイのレーザーディスクを買ったのですが、このときは、disるパターンの工作員が登場しました。商品を持ってレジに並んでいると、やはり2人1組の男の片方が(もう一方は何故か喋らない)、「ゲッタウェイか…。なるほどなあ。そうねえ」みたいなことを言って後ろに張り付いてきました。これは、こちらに対して喋っていることが明らかで、しかも口調が独り言ではなく悪意が滲み出てて、ちょっと気持ち悪かったです。

このパターンは最近もあり、2013年の年末に箕面のIMAXにゼログラビティを観に行った(2回目ねww)のですが、帰りのバスで同じく2人1組の男の片方が(もう1人は何故か喋らない)、「この映画は絶対2回なんか観ないわー。ありえんわー」と大声で話していました。まあ、私はあまり人の意見を気にしないので、「ふーん、ま、そういう人も世の中にいていいんとちゃうかな」ぐらいにしか思わなかったのですが。というか、皆が素晴らしいと賞賛するものなんか、世の中に存在するはずがありません。明らかにおかしいですよね。こういうところ、なんとなく嫌がらせにも全体主義的な思想を感じます。

もっとも1人が黙っているというのには例外があって、女性は必ずしもそうでないかもしれません。2004年春ごろ、桜宮から環状線内回りに乗り、ドア横に座っていた新入社員とおぼしき男女二人連れの前に立ったとき、突然、男の方が「関西弁で生意気なやつのこと『いきってる』と言うんですか!」と喋りだし、その後、「そうそう」「なるほど!いきってるね。いきってる、いきってる、いきってるね。いきってる!いきってる!」と、まるで壊れたレコード(表現が古いかw)のように大声で繰り返し始めたのですが、合間合間に女性の方は彼と普通に話していたような気がします。そのときは、よくこんな頭のおかしいやつの横に座れるなあ、まあ、同期だからいいのか?自分ならありえんな、と思ったのですが、なんのことはない、2人は宗教信者同士だったようですね。そりゃ、気にならないわ。

機械の故障

別のパターンとして、機械の故障(の演技)があります。具体的にはいろいろあって、例えば、予備校に通っていたとき、何故か自分の受講票だけが印刷されずに白紙であるとか、印刷内容が違っているということが続きました。似たことはその後もあって、友人には、何故か自分が関わると機械が壊れるみたいだ、とよく話していました。銀行の窓口などでも、いざ順番がきて座ると、コンピューターが壊れたから移動してくださいと言われることが何度もありました。普通、銀行の窓口のPCがそんなに壊れますかね?

印象づけ回避

これは集スト開始前に限ると思うのですが、嫌がらせを向こうがしてきたとき、こちらの応対によってはトラブルになるか、なりそうなときがあります。そのとき、相手側が急に態度を一転させてトラブルの深刻化を回避するパターンがあるようです。これは、被害者予備軍(加害団体によるマーク群)への印象づけ(実際に集ストが始まってからの過去の関連付け)を回避するためではないかと思います。

98年ぐらいに私は非定期に新幹線通勤していたことがあるのですが、東北新幹線のガラガラの自由席(禁煙席)に座っていると、50代ぐらいの夫婦がやってきて、男性が私の前の2列席、女性がその男性と通路を挟んだ3列席に座りました。夫婦なのに何故分かれて座るんだ?と思っていると、男性がいきなり喫煙を始めました。仕方なく私が「ここは禁煙車です」と注意すると、「わかってる。オレに命令するな」と騒ぎだし、「車掌を呼ぶ」と言うと「どうぞ」とのこと。同じ車両に乗っていた他の人がさらに注意すると男性は喫煙をやめました。その間、不思議なことに女性は無言。ま、ここまでは、犯罪をおこしまくる近年の中高年として十分にありそうな話なんですが、その後、私が宇都宮駅で降りようとすると、その男性が一転、満面の笑顔で、「いやー、最近の若いひとはすごいね。きちんと正しいことを主張するもんね」と言いだしたのです。「はあ?」と思いました。本当に笑顔なんですよ。これ、異常でしょ?w

他にもこういう例はあって、やたらめったら深々とお辞儀したりもします。普通、そんなにしないでしょ、という角度でのお辞儀です。また、1週間ほど前にツイートしたのですが、震災(阪神大震災)の後、実家の横にできた更地で排水溝を掘っていたときに、人の家のブロック塀に勝手に登って、物理的にも心情的にも上から目線でいちゃもんつけてきた近所の消防士も、しばらくして「いや、大変結構な息子さんで。こちらが悪く言っても気にしないし」と母に褒めてきたそうです(というか、自分が悪口言ってるのを認めてるのか、お前はw)。

よく考えたら、これ、被害者への印象づけの回避になってないですね。やられた方は余計に覚えている。単に、つきまとっている相手を馬鹿にして仲間内で共有してるのかもしれませんね。

ちなみに宇都宮駅で降りた後、今度は酔っぱらいのオッサン(先ほどの人物とは別)に絡まれましたが、話しているうちにこのオッサンは素に戻り、普通に会話するようになりました。確か、握手して別れたんじゃなかったかな。今から考えると演技ですよね。まったく。

この記事見た人で、こういう経験のある人います?
もし、数年に一回でもこういう経験あるのなら、カルト宗教団体から何らかの理由でマークされている可能性がありますよ。彼らのマークは長期間にわたるので、気付かないことも多いと思いますが。

過去のこと(aderyn記載)

aderyn(iphiko)記載です。本日3つめ。

年表を作っていろいろ確認すると、どうやら子供のときから嫌がらせを受けていたようです。なんか変だ、他の人はそんなことないのにと、子供のときから常々思っていたのですが、元々の性格でそんなに気にしなかったのが良かったのか悪かったのか。

私の育ったところは神戸市東灘区で、「明日を信じて」というブログの方のお住まいのすぐ近所です。歩いて5分ちょっと。間に天井川という川(というかコンクリで3面囲われた、普段は水がほとんど流れていない水路。たまにイノシシが出る)があり、私の実家は川の西側に位置します。東側(青木駅側)とは少し雰囲気が異なります。

うちの家庭は、父親が親にネグレクトされてた人で中学校も満足に行っておらず、母親は福岡から家出して神戸に出てきたような人であるため、関西の普通の家庭とは異なっていたはずです。両親とも、どこの宗教団体にも属さず(神棚はありましたけどね。氏神様と住吉神社を祀っており、私は子供のときから毎晩、お供え物を交換していました)、職場以外のどこの組織にも属さず。父親は学歴がないので万年平社員だし、つまり一切「紐付き」ではありません。創価なんてこの被害にあうまではよく知りませんでしたし(中島らものエッセイを昔見て平和を愛する団体と思っていました)、よく言われる在日や同和についても、全く意識することもなく差別意識もなく育ちました(この差別意識の皆無さが、今にして思えば、これまた良かったのか悪かったのか)。

が、例えば、近所の駄菓子屋に行くと自分だけ無視される、お祭りの夜店に行くと、店のおばさんにとても嫌な顔をされてあしらわれるということが繰り返しあり、子供ながらそれが不思議でした。親が↑のような人だったので、自分に貧乏くささがにじみ出ているのか、駄菓子屋や夜店のおばさんは貧乏くさいのが嫌いなのかもと考えていました。また、小学校のとき月に一度だけ、家が近い者同士で班を組んで集団下校するのですが、班を担当する女性の先生が毎回毎回ひたすらこちらを無言で見続けていたり(この先生は精神に異常のある人だと思っていた^^;)、別の教師(中村:こちらは名前を今でも覚えている)に常に嫌がらせを受けたりしていました。

この無言でみつめるバージョンは、小学校卒業後はずっと無かったのですが、数年前から再開していました。また、夜店のおばさんバージョンは中学生以降はなかったのですが、社会人になってから再開し、2001年に関西に戻ってきてから非常に顕著になりました。

その他、頭のおかしいフリをしている人に絡まれるのは、子供のときからしょっちゅうでしたね。友人と「なんで自分だけ変な人が寄って来るのかねえ」と言ってました。「頭のおかしいフリ」というのは、私自身、あまりこういう人のことを気にしない性格で、出来る範囲で普通に応対していると、何故か相手も普通の人に戻っていっていたからです(まったく、演技ですよアレ^^;;)。

その他、細かいエピソードを並べると本当に無数にあるのですが、省略します。一つ言えることは、子供の時から創価に常にマークされていたであろうことを、今、確信しているということです。

きっかけは、育った場所柄いろいろ考えられるのですが、親戚と近所の住人が怪しいです。父親は↑のような育ちですし、その出自もあって親戚と折り合いがよくありません。近所の住人については、公明党のポスターを貼ってあるような明らかな創価信者からの勧誘を両親が常に断りつづけていたことが原因かもしれません。また、隠れ信者であろう家族が近所に複数あり、そのうちの特に一つの家族から私が非常に冷たい扱いを受けていたことを考えると、この家族が原因かもしれません。いずれにしても、これらが最初の依頼者であると考えています。

なお、嫌がらせは、今から思えば受験や就職活動のときに酷くなる傾向がありました。また、学校で何かイベントがあるとき(スキー合宿、裁判所見学、卒業式など)に、風邪も引いていないのに何故か当日の朝、発熱するということを繰り返していたのですが、これもなんか関係している気がします。

こういう数十年にわたる宗教の嫌がらせと監視ですから、どうりで自分を知っているような態度をとるこちらは全く知らない他人(その宗教の信者や紐付き)がチョロチョロいるわけですよね。

最後に唐突に話変わりますけど、本当に宗教って怖いですね。
信じている自分が「幸せ」になるのが正義だと思ってるんですもん。